260615 藤原忠通が法性寺入道だったのか。

260615

後三条天皇(延久の荘園整理令1069年)の側近の大江匡房。

何か聞いたことあるなーと思ったら、百人一首73番の「高砂の尾の上の桜さきにけり 外山の霞たたずもあらなむ」の権中納言匡房だったー。

なるほど「まさふさ」だわ。

あと、「保元の乱」で勝った方チームの、兄の藤原忠通(ただみち)(負けたのは弟の頼長)、これが76番の「わたの原漕ぎいでて見ればひさかたの 雲居にまがふ沖つ白波」の人だと知った。

百人一首内で一番長い名前の「法性寺入道 前関白 太政大臣」ね。

「忠通」って名前が出てこないから、これは同一人物と見分けるの難問だわ。。

でもこれで藤原忠通が覚えやすくなったかもー。

法性寺(ほっしょうじ)は藤原忠平が建てた寺らしい。

 

あと、この「わたのはら」の歌には、江戸時代に太田南畝(おおたなんぽ)っていう人に狂歌(パロディ)ってのが作られてて、思わずウマイっ!とうなってしまった。

「法性寺入道(ほっしょうじにゅうどう)さきの関白を 半分ほどでおきつしら波」

意味は「ほっしょうじ、なんやら・・の名前が長すぎて、半分ほどでもう置いた(やーめた)」みたいな感じかな。

しかも、この「置きつ」が元歌の「沖つ白波」(沖の白波)とかかっているという・・。

ウマー。すばらしいね。

 

<今日の発見!数珠つなぎ。>