260623 北条時頼と安藤義景

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<今日の発見!数珠つなぎ>北条時頼と安藤義景

徒然草の184段に、5代執権・北条時頼と、叔父の安藤義景(よしかげ)が出てきたんだけど、その2人が石ノ森版『マンガ日本の歴史』巻にも出てきて、おーっとなった。

『徒然草』では時頼のお母さんが、質素倹約を時頼に教えようとしたエピソード。登場人物はこの3人。

・相模守・北条時頼(鎌倉幕府・執権5代)(名前だけ)
・母:松下禅尼(まつしたぜんに)
・母の兄:安藤義景

障子を切り貼りしてる松下禅尼(時頼の母)に向かって、その兄の安藤義景が「一気に張り替えた方がきれいだし、いいじゃないか」みたいに言うんだけど、妹は「こうやって行動で見せて、時頼に質素倹約を教えるんです」って答えるっていう話。

で、『マンガ日本の歴史』の方は、時頼は「建長寺」を建てているところに登場(9巻47P)。蘭渓道隆と話している。あと将軍を九条家からでなく、今度は皇家から宗尊親王を迎える話もしてる。

安達義景は、8代時宗(時頼の子)に仕えてるところに出てきた(9巻の61P)。「お父上の豪気な血を受け継いでおられる」ってセリフがあるから、時頼のサポートもしてたんだなーっていうのが分かる。

「あれ・・この義景って、あの義景じゃない・・?」みたいに、点と点がつながる瞬間がやっぱ楽しいねー。

 

260615 藤原忠通が法性寺入道だったのか。

260615

後三条天皇(延久の荘園整理令1069年)の側近の大江匡房。

何か聞いたことあるなーと思ったら、百人一首73番の「高砂の尾の上の桜さきにけり 外山の霞たたずもあらなむ」の権中納言匡房だったー。

なるほど「まさふさ」だわ。

あと、「保元の乱」で勝った方チームの、兄の藤原忠通(ただみち)(負けたのは弟の頼長)、これが76番の「わたの原漕ぎいでて見ればひさかたの 雲居にまがふ沖つ白波」の人だと知った。

百人一首内で一番長い名前の「法性寺入道 前関白 太政大臣」ね。

「忠通」って名前が出てこないから、これは同一人物と見分けるの難問だわ。。

でもこれで藤原忠通が覚えやすくなったかもー。

法性寺(ほっしょうじ)は藤原忠平が建てた寺らしい。

 

あと、この「わたのはら」の歌には、江戸時代に太田南畝(おおたなんぽ)っていう人に狂歌(パロディ)ってのが作られてて、思わずウマイっ!とうなってしまった。

「法性寺入道(ほっしょうじにゅうどう)さきの関白を 半分ほどでおきつしら波」

意味は「ほっしょうじ、なんやら・・の名前が長すぎて、半分ほどでもう置いた(やーめた)」みたいな感じかな。

しかも、この「置きつ」が元歌の「沖つ白波」(沖の白波)とかかっているという・・。

ウマー。すばらしいね。

 

<今日の発見!数珠つなぎ。>

 

 

 

260413 じい(平手政秀)って風流~

260413
『信長公記』を読み始めたんだけど、織田信長のじいの平手政秀が、他国との和平の記しに、紀貫之の和歌「袖ひちて」を、送ってたっていう記述があって・・「えー。じい~風流~」って思った。

「袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つけふの 風やとくらむ」
(訳)夏に袖を濡らしてすくった水が、冬に凍ってしまった。立春の今日、吹く風がその氷をとかしているだろう。(ひつ:ぬれる)

これを和平の手紙に送ったってことは・・「これまでは対立していたけれど、これからは仲良くしましょう」の意味だったのかな。雪解けですね、的な。

最初「袖ひちて」の部分を読んだときに「あれ・・この歌、何か聞いたことあるぞ・・」ってなったのがうれしかったな。

確か古典文学の紀貫之のところでやったんだった。文学と歴史がつながる瞬間、楽しー。